成福院縁起
成福院は信貴山の塔頭として建立されました
成福院縁起
信貴山大本山成福院は信貴山総本山朝護孫子寺の塔頭寺院です。信貴山は587年(用明2年)聖徳太子により開山され、塔頭たる成福院の建立時期は不明なものの、後嵯峨天皇とのご縁から1200年代以降と思われ、1577年(天正5年)松永久秀の乱により焼失後、1790年(寛政2年)に再興され現在に至っています。なお、中興開山と云われる命蓮上人は902年(延喜2年)に醍醐天皇から朝護孫子寺の勅号を賜っています。信貴山の宗派は信貴山真言宗で、1951年(昭和26年)に高野山真言宗より独立し創立されました。
成福院は広大な信貴山においてその中心部に位置し、赤門から本坊側参道を道なりに向かって進めば、すぐに朱色に塗られた「融通殿」と屋根の曲線美が印象的な「成福院信徒会館」が目に飛び込むことでしょう。「融通殿」では融通まつりや八千枚護摩供など成福院の年中行事の多くが執り行われ、日々の本堂(朝護孫子寺本堂)における御祈祷(大般若祈祷)の後には必ず、当院独自の祈祷を「融通殿」において執り行っております。
この「融通殿」内部には、後嵯峨天皇が御念持佛とされていました、諸々の願いを意のままに叶えていただける「如意宝珠(如意融通宝生尊)」をお祀りしており、また左脇侍に厄難消除の不動明王、右脇侍には立身出世の弘法大師をお祀りしております。中央には護摩壇が置かれ、護摩修法(毘沙門天護摩)の際には天井近くまで炎が立ち上ります。
総本山朝護孫子寺の御本尊は毘沙門天王です。「如意宝珠」は毘沙門天王が左手に棒げられる宝塔の内に有ります。この「如意宝珠」には無量無辺の功徳が蓄えられており、一方、右手に持たれておられる宝棒は「如意宝殊の棒」と名づけられ、「無量の財宝を涌出する」と伝えられております。尊天とも呼ばれる毘沙門天王と無量無辺の功徳の「如意宝珠」。商売繁昌、福徳開運、諸願成就のご利益があらたかです。個人はもとより多くのご商売人や経営者の方々が参拝されています。
成福院「融通殿」では毘沙門天護摩を修し、融通尊のお姿である宝珠法をご祈念いたしておるのですが、成福院中枢部である尊天堂(通称天堂)におきましても毘沙門尊天法を不断行にて、国家安穏、信徒各位の家門隆昌、子孫長久、息災延命を祈念いたしております。
信貴山といえば「寅」の信仰でも知られています。信貴山開祖聖徳太子が寅の年、寅の日、寅の刻に毘沙門天王が出現されることで御加護を受け(信貴山は毘沙門天王の日本最初の御出現霊地)、物部守屋を討伐したことに始まり、七福神や四天王における随一、商売繁昌、福徳開運、諸願成就のご利益あらたかな福徳の守護神として毘沙門天王の神使である百足(ムカデ)だけでなく「寅」が信仰されるようになりました。信貴山内のいたる所に寅の像がございます。成福院でも張り子の寅をはじめ、「寅」にまつわる授与品を数多く用意しております。
また、信貴山では平安時代末期の作品とされる「信貴山縁起絵巻」も広く知られており、これに興味を持たれて来山される方も数多くおられるようです。これは命蓮上人を主人公とした高僧絵伝ですが、その表現手法は日本の漫画文化のルーツのひとつと云われ、今もなおインスパイアされた作品があるともお聞きします。残念ながらその時代に成福院が存在していたという記録はございません。なお、「信貴山縁起絵巻」は朝護孫子寺本堂近くにある「霊宝館」でご覧いただけます(平時は複製物を展示)ので成福院や本堂に参拝の折りには是非ともお立ち寄りください。
成福院「融通殿」に隣接した「成福院信徒会館」は成福院の客殿で、宿坊や大広間が設置されており、1970年に建築界の巨匠、村野藤吾氏設計により竣工しております。近代建築でありながら、その曲線と直線の組み合わせは「融通殿」等荘厳な寺院建築物と相まって成福院の価値を高めていると自負しております。「成福院信徒会館」は成福院宿坊をご利用いただけますと内部をご覧いただくことができます。
さらに「成福院信徒会館」の丑寅(北東)には「三福神堂」がございます。こちらには財運と伎芸を司る弁財天(辨財天)を本尊とし、脇侍に大黒天(福運と豊作)、恵美酒太神(開運と大漁)をお祀りしています。「如意宝珠」のご縁で寄贈された弁財天様で、大仏師渡邊勢山氏による造顕で、成福院長老と勢山氏が完成まで幾度か天川村弥山まで背に担いで登り、まことに不思議なご利益に遭遇した尊像です。平成7年に御鎮座入佛式、平成10年に脇侍を迎え落慶法要を厳修しております。「三福神堂」への参拝は日々できますが、弁財天御像は12年一度の巳年(蛇は弁財天の使い)に開帳しております。
現成福院貫主は、平成17年に成福院貫主に晋山、平成23年に総本山朝護孫子寺第135世法主・信貴山真言宗第7代管長に晋山した鈴木貴晶でございます。